何十年も前から頂いた年賀状を大切に保管している。
もう数え切れないほどの数になった。
その中には故人になられた方が随分多くなった。
これは 1961年(昭和36年)辛丑の年の賀状である。
当時 新聞か何かで「出した年賀状には必ず返信する」と書かれていたので あの頃 当然ネットなどなかったのに如何して調べたかは忘れたが住所を調べて出した年賀状に 見ず知らずの私に ちゃんと返事が来た。
徳川夢声さんからの年賀状である。
辛丑の文字を 図案化したものでサインが添えられている。
夢声さんは弁士、講談師、作家、俳優でラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。1894年生まれ1971年没
当時のハガキは現在のものより一回り小さく 郵便料金は5円だった。
我が師匠
炭山南木先生からの年賀状である。
何通かあるが亡くなる3年ほど前昭和51年のもので 出した賀状の返事らしく「早々賀状下され有難御礼申上げ升」と添え書きされている。
先生が最後に住まれたお宅の住所になっているが 現在は表示が変わり 郵便番号も当時は3桁であった。
南木先生は 明治28年生まれ京都美術工芸学校で学ばれたが書の道に転身され、絵画で学んだ墨法を生かし濃淡自在の書を展開された。昭和54年没
仮名の手解きを受けた
桑田笹舟先生には こちらからは長年年賀状を出していたが一度もいただいた事はなかった。
料紙研究家でもあった師匠ではあったが 直接手取り足取りの指導ではなく高弟たちが我々に指導したり研究会で教えられたりした。それをお稽古のとき持参すると そこへサラサラと書いて下さる。これはその中の1枚である。
先生の印はないが 目の前で書いていただいたものである。
桑田先生は明治33年生まれで平成元年に亡くなられた。
昭和46年のハガキで料金は7円である。
桑田先生の高弟であった人たちに教えられた料紙ではあるが その中でも自宅で朝から夕方まで親切に指導して下さった
薮田泰生先生は毎年手作りの料紙に書かれた年賀状を送り続けて下さった。
平成15年1月に亡くなられ流石にその年の賀状は来なかったが その前年14年のものである。最後まで手を抜く事もなく美しい賀状をいただいた。
最後に平成16年にいただいた
白川静先生の年賀状を紹介しよう。
相当数の賀状がくるであろうと想像出来るが 裏の印刷は当然だと思うが表書きは ちゃんと先生独特の書体で 手書きされている。
「頌春 平成16年元旦」と「壽如金石」の印が押されている。
これだけではないが これからも大切にしたい私の宝物である。
民営化された日本郵政KKのコマーシャルではないが 立派な贈り物であろう。
今日は官公庁の御用納め このblogも今年はここまでにしたいと思います。
ご訪問いただいた皆様に感謝し、来年もどうぞ良いお年をお迎え下さることを願っています。
又来年お越し下さいますようお願い致します。