昨年11月多神社で序文と神武天皇の部分を輪読して以来、年末、年始はお休みだった賣太神社での輪読会が 久しぶりに再開された。
今年から現代語訳を読むことになった。
遠く 仙台から参加された方や名古屋、岐阜、大阪、奈良の各地からも集まって来られた。
今後、偶数月の第4木曜日 14時から開催されることになった。次回は4月25日
去年のように1300年の奉祝祭に向けて 最後まで読もうというのではなく ゆっくり読むのではないだろうか?
1回目は「序文」から「天地創造」「伊耶那岐神と伊耶那美神」の禊の部分までで終わった。
次回は三貴子の分治から。
今まで訓読文で読んでいたので 例えば「臣」を「やつかれ」と読んだが「シン」で良いだろうということで 少々戸惑いはあるが内容は判り易い。楽しみながら読めると良い。
古事記は 元々序文のみ漢文で書かれ 本文は日本語の音を漢字表記する変体漢文で 国内向けに記したと思われる。「上古の時代は言葉と意味とも国語であり それを漢字に敷き移し漢語で綴る、漢字での日本語表記は容易ではない。すべて訓字で表記すると言葉の意味が十分通じない、字音仮名で書き連ねると長々しすぎて意味が通じない」と書かれている。
何時、買ったのか主人が 持ってきてくれた本の挿絵は ↓
序文を「前書き」と「取説」と書かれ 現代人に理解し易くなっているが・・・・
古い人間は「ウワー?!」と思うが 1300年を縮めると こんなだろうか?
稗田阿礼は 実在の人物だろうか?男だったか女だったか?と言われているが この本では祭りで巫女の役をする猿女(さるめ)の祖先アメノウズメの末裔かと?天皇や皇族に仕える下級官人、舎人であったことは序文に書かれている。
文字の出来た頃も謎だらけ。この古事記も結構 解明されないことが多い。歴史はそんなものかもしれない。
全部 解き明かさなければ信じられないと思う人もいるだろうけれど 「謎」があるから面白い。
と、私は思う。
今年も のんびり楽しもう。
王羲之
東京国立博物館で開催されている「書聖 王羲之」展を見られた方もあるかと思うが 今年は早々から書道愛好家にとっては大きな展覧会の開催である。
行こうかと思いながら日が過ぎ 残りは1週間あまりとなった。(多分、行けないだろう)
今は すべて失われた真筆の筆づかいを伝える唐代の模本をはじめ歴代の優品160点あまりと日本で新たに唐代の模本と鑑定された「大報帖(たいほうじょう)」も出品されている。
王羲之は 字を逸少といい、紀元四世紀の中国晋代の貴族であり官僚、そして書家でもあった。晩年、右軍将軍の地位に就いたので 王右軍ともよばれる。
王羲之の書は 存命中から尊ばれ、太宗(紀元七世紀、唐王朝の第二代皇帝)は収蔵した書を臣下に整理分類させ臨本、摸本とよばれる精巧なコピー(「双鉤塡墨」は、紙に書かれた書蹟を複写するための方法で、書の上に薄紙を置き、極細の筆で文字の輪郭を写しとり(籠字・籠写)その中に裏から墨を塗って複製を作るものである。この方法による模写を「搨模」(とうも)という人間の手によって細密な複写技術だ)や、石に刻まれた真筆の字姿を拓本に作らせた。
太宗が崩じた時に『蘭亭序』を一緒に昭陵に埋めさせたと言われている。その後、戦乱を経て王羲之の真筆は全て失われたと考えられている。王羲之の書とされているものも、唐代以降に複写したものと、石版や木板に模刻して制作した拓本のみであるとされている。『快雪時晴帖』は、古くは唯一の真筆と考えられており、清の乾隆帝はこの書を愛した。しかし、『喪乱帖』などと同様に精密な双鉤填墨等の手法による模写本であり、外見上は真筆とまったく区別できない。拡大鏡によって初めてそれが複製であると分かると いわれている。