
富士山が世界遺産に登録され話題になっているが 2007年(平成19年)1月「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の1つとしてと登録された場所である。
持統天皇の歌「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香久山」でお馴染みの
香久山。
標高は152.4mで 太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり、龍門山塊の一部から延びた尾根が、長い年月の中で浸食され、香久山の部分だけが残った山だと言われている。
古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された山である。

前日の雨でぬかるんだ道を登る。
山頂に國常立命(くにとこたち)を祭神とする國常立神社が鎮座する。2つの小さな祠のうちの1つには高靇神(たかおかみのかみ)が祀られている。
正午をとっくに過ぎていたが ここで昼食。
この香久山の他の
畝傍山(うねびやま)は標高199m、
耳成山(みみなしやま)は140mで この二山は死火山で単独峰だ。
畝傍山の東部裾野に神武天皇陵、南西部に安寧天皇陵、南部にイトク天皇陵、南東部に橿原神宮があり、これら一帯は広大な森が広がり、荘厳且つ深閑とした雰囲気を湛えている。
耳成山は三山の中では最も綺麗な形をしている。元はもっと高かったそうだが、盆地の没落で沈下し、山の頭部が地上に残された単調な円錐形で、人の頭にたとえれば耳が無いような形だったので、耳無し山から耳成山と呼ばれるようになったと云われている。

イザナギ神社とイザナミ神社
香久山の途中にあるイザナミ、イザナギ 両神社は急な坂を下らなければならない。泥濘んだ坂は危険なのでちょっと手前から失礼した。
「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」(中大兄皇子)と歌われている。
大和三山が神代に恋争いをしたという歌である。畝傍山の神は男神であるという説と、「畝火を愛し」と解釈して畝傍山は女神であるという説とがある。この歌は、中大兄皇子と弟の大海人皇子の額田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したという説もある.

天香久山神社。 本殿の背後に巨石があり 磐座(いわくら)として祀られている。

哭沢の杜(畝尾都多本神社)=
なきさわのもり(うねおつたもとじんじゃ)=
生命復活の神である泣沢女(なきさはめ)を祀る神社。
泣沢女の神は伊邪那岐(いざなき)命の涙から生まれたといふ神で、死者の霊の復活や、病気を治す神とされる。
高市皇子の病気平癒を祈る桧隈女王の歌。
「哭沢の杜にみわ据ゑ、祈れども、我がおほきみは高日知らしぬ」の碑がある。
丁度、タイサンボク(泰山木、大山木、モクレン科の常緑高木)の花が咲いていた。

この後 藤原宮跡、おふさ観音へ行く予定だったが 時間の関係で私はここまで。