
先日 奈良市にある我が息子かかり付けの獣医さんへ行った序でに東大寺へ寄った。

去る10日東大寺南大門の高さ約15メートルにある一層目の屋根に「大華厳寺」の文字が書かれた扁額が揚げられた。

源平の合戦で荒廃した同寺の復興に尽力した高僧・重源(1121~1206)の没後800年を記念した法要「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせたもので、額は横4・5メートル、縦1・65メートルの総ヒノキで、重さは約500キロ。鎌倉時代の僧・凝然が書いた仏教書「三国仏法伝通縁起」によると、かつて南大門には「大華厳寺」と書かれた額があったとされ、法要に合わせてこれを復元したものである。文字は聖武天皇の写経から集字したもののようで、写経らしい端正なものである。
13日除幕された。
東大寺南大門に因み「東西南北」の文字を。




方位の東・西・南を示す文字は本来その字はなく、元の意味とは関係なく、音のみを借りた仮借(かしゃ)の用法である。
「東」はもと嚢(ふくろ)の形。上下を括って袋の形にしたものであるが 袋の意味に使われることなく方位の「ひがし」の意味に用いる。
「西」の甲骨文字と金文の字形は荒めの籠の形で、鳥の栖の形であろう。説文に「日、西方に在りて 鳥西す(巣に入る)故に東西の西と為す」とある。
「南」は銅鼓の形、苗族の使用した楽器で今も南任(なんじん)と呼んでいるが その音を借り方位の「みなみ」に用いる。
「北」は左右の人の形を背中合わせに組み合わせた形で「せ、せなか、そむく」の意味となった。 王は儀式のとき南を正面として坐るので 王の背を向ける方向を北といい「きた」の意味となり 方位の意味に用いられるようになったので、身体の部分を示す月(にくづき)を加え背が「せ、せなか」の意味に用いられるようになった。