
明治時代の代表的な書家・日下部鳴鶴先生の碑は多い。揮毫した碑は1000基とも言われ、全国に数多く見られる。
以前にも このblogに載せたことがある
奈良公園の谷川碑もそうであるが 先日散策した大阪中之島の東洋陶磁美術館の横にある巨大な石碑も鳴鶴先生の書である。
大阪城石垣の巨石を使ったものだそうで、「木村重成碑」は、26歳で戦死した豊臣の武将 木村重成を称えた碑である。
書風は、鄭道昭風で、キチッとした楷書体で書かれている。「東作」は本名である。
鳴鶴先生の碑の最高傑作は 東京の青山墓地にある大久保公神道碑だといわれているが 見た事がないので判らないが 谷川碑もそうであるように堂々とした立派な書である。
鳴鶴先生は天保9年(1838)に彦根藩士の子として生まれた。父三郎衛門は桜田門外の変に井伊直弼の供頭役に任じていて亡くなったそうだ
31歳のとき(1868年・明治元年)新政府の太政官の少書記官に、つづいて大書記官に昇進したそうだが明治11年官を退き 書人として身を立てることになった。
門下生は3000人を数えたと言われる。私たちも その流れではある。
先日、昔勤めた会社のOB会から「中之島・淀屋橋界隈 歴史と再発見」ということで散策した。
みんな現役の時には 仕事で行き来した場所でありよく知った所ではあるが再発見!当にそんな感じであった。
動画に纏めてみたが タイトル部分から失敗作であるがお時間があれば どうぞ!
中に 懐かしい損保会館と書いているのは私たちは損害保険会社であったからである。
関西をご訪問中の天皇皇后両陛下は 17日この中之島にある東洋陶磁美術館を訪問され、午後文楽劇場で「葛の葉子別れの段」を観賞された。
新しく開通した京阪電車中之島線の 淀屋橋駅への通路に 中之島界隈の蔵屋敷のことが掲示されていた。

中之島界隈には、諸国の領主が天下の台所である大坂で年貢米や特産物を換金するために設置した蔵屋敷が多数あった。水運の便のよい大川沿いには数が多く、ここには蔵屋敷が中之島本島内に41、堂島川北沿に27、江戸堀川南沿いに4、土佐堀川南沿いに18 記されている。
OSAKA光のルネッサンスは今年7回目で 12月1日から25日まで開催される。昨年は138万人が訪れたそうだ。